2013/04/04(木) 誰かのために
 Twitterで、友人でありサックス奏者である鈴木学氏を(お互いに)フォローしているんだけれども、『なるほど!』と思えるツイートが多くて、時々リツイートしている。で、この前リツイートしたものに、『最終的に、楽器の演奏は、自分のためではなく、誰か他の人のためにするものだと思うのが良いようです…(後略)』というのがあった。

 なんだかよくわかるというか、なるほどそうかもしれない、と思ったんだよね。たとえば恋してるときは演奏も変わる。誰かのために演奏しようと思って演奏する時のほうが、とにかく自分を伝えようと思って演奏するのよりも自然になるのかもしれない。『自分をわかってほしい』っていうのと、『あなたに伝えたい』っていうのの違いかな。『自分が』ってなると、どこかに力みが出るのかな…?

 これはちがう話なのかもしれないけれども、アレクサンダー・テクニークのレッスンでの話。楽器を吹く時、たとえウォームアップとかでも、ただ吹くのと、たとえば目の前にいる誰かに伝えようっていうふうに吹くのとでは、全然違ってくる。ペットでもぬいぐるみでも、何か前に置いておいてそこに届けよう伝えようって吹くと、違ってきたりする。

 ことばを話すときもそう。相手に聞こえるように(伝わるように)話そうと思ったら、大きな声を出すんじゃなくて、その相手に届けようっていう意思を持って話すと、伝わる。必ずしも声の大きさじゃなかったりする。不思議なもので…。

 これ、楽譜を書くときにも言えると思う。誰が吹くのかわからず書くのよりも、あの人が吹くんだ、ってわかって書いたほうが、なんだかよくないですか? どこで演奏されるのかわからない曲よりも、あのバンドが演奏してくれるんだってわかってたほうが、なんだか顔が浮かんできたりして筆が進んだりする…。

 人間は、誰かのためになにかをするときのほうが、力を発揮できるものなのかもしれませんね。