2013/12/19(木) 久々の探究(2)
 余分な動きはほんとになくなってきていたんですが,必要な動きまでやめようとしていた,または,必要な動きが足りなかった,そういうことによる緊張,心地悪さだったんですね。でも,そういう微妙で必要な動きを身につけるためにも,余分な動きをやめることが必要だったんですね。そのことが,今はわかります。

 動きを観察したり,余分な動きに気づくときには,動きをとても単純化して捉えることが必要なのかもしれない。でも,必要な動きを見極めたり(気づいたり)身につけたりということは,イメージがないとできない…。

 アンブシュアにしても,やっぱり,『結果的にそうなっている』んですよね。そしてそこに導いてくれるのは,イメージ。結果的にその形になる。結果的にその動きになる。そう考えると,アンブシュアにしても奏法にしてもやっぱり,「こうしなさい」って言葉で教えられるものではないですね。

 それにしても,ほんとうに日々変化しているので,昨日までと同じプランが使えるとは限らない…。でも,その変化が楽しいし,それは観察から得られることなんですよね。もし日々なんとなく吹いていたら,昨日と同じように吹いて昨日と同じ音が出るだけ…。そうではない毎日があることが,うれしい。