2012/09/10(月) オーケストレーション(1)
以前、少しスコアを見ていただいてアドバイスをいただいたある作曲家さんが編曲された吹奏楽曲のスコアを見る機会が、最近あった。見れば見るほど、う〜ん、と考え込んでしまった。
たとえばトランペット3本とトロンボーン3本でハモる場面。ドミソの和音だったら、上からドソミドソミではなく、ドソミドソドになってる。トロンボーンは空五度にしてあるのだ。そのほうが純粋な響きがするだろう。そういうふうに書く人はどちらかというと少ないけれども、その意図はよくわかる。ぼくにはなかった発想だ。
ぼくはトロンボーンだけ取り出しても三和音として成立するように書く。そのほうが吹いてて気持ちいいでしょ、という発想。そこに何の疑問もなかった。やっぱり、プレイヤー的、トロンボーン吹き的発想でスコアを捉えて書いている部分があることは否めない。それは、いいところでもあるだろうし、逆に可能性を狭めているところでもあるだろう。
楽器のプレイヤーっていうのはたいていみんな、自分の楽器の視点でスコアを見るものだ。でも楽譜を書くとなれば、そうじゃない大局的な視点も必要だろう。まぁそれだけになってもよくないのかもしれないけれど…。いい音がするためには、各楽器が気持ちよく演奏できることも大事だからね。
ほかにもいろいろな書法で、『なるほど』と思えるところがたくさんあった。あのときスコアを見ていただいてお話を聞いていなければ、このスコアを見ても『なるほど』とは思えなかったかもしれない。