2012/08/28(火) 時代?
 第1回全日本吹奏楽コンクールの課題曲マーチを聴きたくて買った斉藤丑松マーチ集、聴いていると、不思議な和音づけがいっぱいある。最初は、これは作風なんだ、と思っていたけれど、だんだんそうじゃなく思えてきた…。特にベースラインあたりを聴いていると、失礼ながら、何度もずっこけそうになる(^^;

 これまで学校の校歌などもたくさん編曲してきたけれど、これも特に古いものになると、不自然な和音づけがあったりする。これ、今の感覚で聴くと不自然な感じを受けるけれど、当時はこういう響きが自然だったんだ、時代が違うんだ、と思っていた。いわゆる、『古い響き』なんだ、と。。まぁ中には和声感覚の欠如が原因のものもあるんだろうけど…。

 でも、ほんとは違うんじゃないだろうか…。時代のせいなんかじゃないんじゃないだろうか…。たとえば斉藤丑松よりむしろ古いスーザのマーチを今聴いても、決して時代遅れの響きはしない。だからほんとうは、きっと日本がそれだけ遅れていたんだと思う。西洋音楽を取り込むっていうことにおいて…。

 さて、校歌を編曲するとき、そういう不自然な和声は、最低限自然になるようにつけ替える。でも、それ以上の不必要に過剰なリハーモナイズや装飾過多の編曲を聴くと、う〜ん…(-_-メ、と思ってしまう。余計なことをするんじゃあないよ(~_~メ、と。。素材の味がわからなくなってしまっては、料理の意味がない(-_-)。