2012/07/14(土) 金管楽器を吹くということ(1)
 とくにここしばらく感じていること…。アップの最初にマウスピースだけで吹いていると、なんだか余計なことをいっぱいしているのに気がつく。よく観察していると、その向こう側に、『もっとこうやって吹こう』、『こういうふうに吹かなきゃ』って過去に自分に強いてきたことたちが見えてきたりする。マウスピースだけで何か吹かせたら、きっと今よりも高校生の頃のほうがうまいと思う。

 『身体をこう使って…』っていうタイプのノウハウ、知識や教えって、少なくとも時が経てば害にしかならないと思う。そのことを忘れてしまった後でも、身体はおぼえていて無意識に自分自身の身体にそのことを強い続け、どんどん不自由になっていく。呪縛。悲しいことだ。

 解剖学や、筋肉の図解や、その奏法上の知識って、結局最終的には害にしかならないと、今は思っている。なにも考えないで吹けるのがいちばんいい。欧米ではあまりそういう理屈は言わないと聞くし、かのジェイコブスも、「言葉が有益なメンタルイメージを作り出せないのなら、言葉による指導は最悪だと言わざるをえない」と言っている。ぼくもそう思う。

 『なんにも考えないで吹けるのは天才で、欧米というのは天才が天才に教える場所、でも凡人に対してはそれではダメなんだ』という意見も聞く。けれどぼくは、こんな仮説を持っている…。『ほんとうは、はじめはみんな天才で、それを凡人に貶めているのが、理屈やハウツー教育なんじゃないのか』と。

[明日の日記に続く…]