2012/06/22(金) ネット社会の話(3)
90年代の『パソコン通信』は、会議室やチャットで大勢で会話し合う感じ。一方、2000年代以降のケータイページやブログ、SNSは、その人のページに行ってその人と会話をする感じ。みんな自分の家や場所があるスタイルだ。でも、インターネットにもやっぱり、大勢の人が会話し合う場所もあった。『2ちゃんねる』などがそうだ。
パソコン通信と2チャンネルの大きく違うところは、匿名性だと思う。パソコン通信も多くは実名発言ではなかったけれど、発信者にはその人固有のIDが表示され、ハンドルネームがあった。一方、2ちゃんねるの書き込みは一体どこの誰が書いたのか全然わからない。これが無秩序や混沌を生んだと思う。あそこの書き込みはトイレの落書きと同じだと誰かが言ったけれど、2チャンネルはパソコン通信のような居心地のいいところではないように思える。ぼくはほとんど行かないけど…
インターネットには、その始まりから匿名性があった。名乗らずになにかを発信できてしまう(IPやログは残るけど)。学術ネットワークだった頃はそれでも問題なかったんだろうけど…。ウイルスやハッカーなんて問題も、誰が何を発信したかわかるような仕組みだったら出てこなかったかもしれないし、2000年代に入って問題になってきた『出会い系』や『裏サイト』なんかも出てこなかったんじゃないかな…。
匿名だから自由なんだと言う人がいるけれども、匿名はただ無秩序と混沌を生んだだけだと思う。それで不自由になっている部分だってたくさんあると思う。実名はべつに不自由ではない。実社会とおんなじ自由がそこにはあるはずだ。近年は実名ルールのFacebookが広がりをみせている。Twitterのフォロワーをみても4割くらいは実名だ。そういう健全な自由が、これからのネット社会の主流になっていくように思う。
去年は大きな災害があったけれど、あの時はおびただしい数のデマがネットに流れた。誰もがいろんな形で情報を発信できる世の中になって、ほんとうに無数の情報がネットには溢れている。その情報をいかに判断して選び分けるかという能力が、ますます重要になってくると思う。