2011/12/05(月) 流派
どんな楽器でもそうだと思うけれど、いろんな『流派』がある。それも、演奏スタイルや音楽の流派ではなく、奏法、演奏技術についての流派だ。トロンボーンなら、たとえば、『マウスピースで吹けないことは楽器でも吹けない』という流派もあれば、『バズィングはよくない』とする流派もある。まるで正反対(-_-)。
どういう技術で楽器を吹くのか、そのときの身体の使い方や機序や方法、技術の行き着く先に、そんなに違いがあるとは思えない。というよりも、どんな流派も、結局はおんなじ目標に向かっているのではないのかとすら思える。でも、その過程で言っていることややっていることは、それぞれで全然違っていたりする。
どうしてそうなのか…。ひとつの事象にばかり目が行っていたり、考え方が極端だったりすることもあるのではないかという気がする。呼吸法だけで楽器が吹けるわけではないし、アンブシュアだけで吹けるわけでもない。
ただ、ひとつ言えると思うのは、たとえば呼吸や、舌や、喉や、アンブシュア…、そのどれかだけを切り分けて考えたり捉えたりすることはできないのではないかということ。みんなつながっている。でもそのなかで、たとえばそのどこがスイッチになっているのかというのは人それぞれなのかもしれない。
自分のスイッチが生徒にも当てはまるとは全然限らない、ということを忘れないようにしないと…、と、レッスンしながら思う。