2011/11/18(金) マニュアル(2)
 昨日、『何を聴いているか』と書いたけれど、ひとつの演奏、音楽を聞いて、その演奏の何を聴いているかは人それぞれに違う。ぼくはいろいろな学校の練習を見学に行く。そこに行って、見るポイント、観察するポイントはいろいろとあるけれども、その中の大きな1つに、指導者が何を聴いているのか、というのがある。

 合奏や分奏で、指導者が指示を出す。それはもちろん、音を聴いた結果判断して指示を出していることになるわけだ。ぼくが『聴いた』ことと、別の人が『聴いた』ことは違うだろう。ぼくが聴かなかったことを別の指導者は聴いているかもしれないし、その逆もありうる。合奏中の指示を聞くと、この指導者は何を『聴いた』のか、がわかる。それにとても興味がある。その積み重ねの結果として、この演奏になっているわけなのだから…。

 たとえば合奏でTuttiのあと、「もっと歯切れがいいといいんだけどね」と言ったきり、掘り下げない指導者がいる。なぜ歯切れが悪いのか、歯切れよくするためにはどうすべきなのか、少なくとも音を聴いた結果としての具体的なアドバイスを伝えなければ、合奏は決して変わらないだろう。これに対して、概して名門校といわれるような学校の合奏指示はひじょうに細部に渡る。逆に言えば、指導者にはそれくらい細かいことまで『聴こえて』いるということになる。

 この、何を聴くべきか、何を聴いているのか、いかに音に集中しているのかというところがひとつの要だと思うのだけれど、それをマニュアルやハウツーにはやっぱりできないと思うんだよね…。