2011/05/08(日) 耳を使うということ
 少し前に『聴こえるということ』というエントリーを書いたけれど、、

 バンド指導をしていると、たとえば生徒に何か伝えて、歌ったり吹いたりして聞かせて、それで、「じゃ、吹いてごらん」といってやらせてみると、とても変化したりする。特に吹いて聞かせるのがいちばん効く。それはいいのだが、そこで、「何が変わったか、わかる?」「どこが変わったか、わかる?」と訊いてみても、たいてい答えが返ってこないか、「わからない」かなんだよね…。

 どこが変わったかわかんなかったら、明日になったらまた元に戻るんだよね。その場限り。なんだか自分(たち)の出している音に、あまりに無頓着に思えるのだけれど、ぼく自身、じゃ普段どれくらい自分の音を聴いているかといったら…、う〜ん、、、なんだよね。人の音からは色々気づくくせに…。

 聴く、聴いてわかる、聴いて判断できる、って、どういうことだろう…。それは多分、音に、音楽に『注意を向ける』『意識を向ける』ってことなんじゃないかな。今まで見てきた優秀な指導者、音楽家は、全神経を音に集中させているような緊張感があった。それをしてもすぐには判断できるようにはならないかもしれないけれど、音に、音楽に意識を向けることをしなかったら、永遠に、聴こえるようにはならない。ここがまず、第一歩かな。と思う。

 耳改革、意識改革です。。