2007/01/10(水) 奏法って…
 (昨日の続き)ところでぼくは「教則本マニア」かもしれない。トロンボーンの基礎エチュードの類はほとんど持っているし、トランペットなどほかの楽器のものもいくつか持っている。いろいろな奏法(それの本質はそれが言っていることとはしばしば別のところにあったりする)も「勉強」したし、咀嚼していいところだけ取り入れたり…。ある意味要領よかったかもしれない。
 20代の頃は理詰めで吹き方を考えるタイプで、それでなんでも解決できると思っていた。でも、それがダメになったことがあって、「インナーゲーム」に出会って(これもある意味アレクサンダー・テクニークに通じるところがある)、それからイメージというものも信じるようになった。でも、イメージは、自分にとっては有益でも、人に伝えたらその人にとってはそれが有害になることだってある。言葉は不完全だ。
 あの20代のころの奏法理論って、もしかしたら今思えば、トロンボーンの側からだけ見た偏ったものだったかもしれない。その頃、人間の身体の造りなどを勉強しようと思ったこともあるけれど、そのときは、「それが何になるんだろう…」と思ってやめてしまった。でも、自分自身の身体の構造やしくみをちゃんと理解することがこんなに有益なことだとは思わなかった。理解するというより、認識する、感じるといった方がいいかな…。(さらに続く)