2006/04/09(日) 楽譜のこと(2)
そのほか、クレシェンドの長さなどが楽器によってまちまちだったり、必要な記号が音符の真上や真下になかったり、強弱記号の横の線がずれていたり、記号と音符が重なっていたり…。そんなことでも楽譜は見にくくなるだろう。でも、楽譜を書く人間というのはさんざんいろいろな楽譜を見てきているはず。その上でなお、フィナーレをそんな使い方しか出来ないなんてことがあるのだろうか…。
以前にも書いたが、たとえばオーケストラでのトロンボーンは、たいていの場合、お暇。休みの間どうしているかといえば、もちろんまず演奏を聴いている... 目の前の音符たちのことを考えている... 指揮者を観察している... ほかの楽器たちを観察している... それから、楽譜の下の方にたいてい書いてある著作権情報や出版社名を読み、「この楽譜、ドイツから来たのね…」などと考えたり、そして小節割りや浄書のしかたを観察したりと興味のネタは尽きない。でもなぜかあくびは出るのだけどね(笑)。
とはいえほくも、楽譜製作に関してはただの見よう見まねで少しずつおぼえていっただけで、ちゃんと浄書の勉強をしたわけでは全然ない。たとえば『上下の向きが混在する音符群に引くスラーは上向きにする』なんていう浄書の決まりごとも、最近知ったばかりだ。1ミリずれてもダメな浄書の世界。自分が気づいていないところで突っ込みどころ満載のとっても見にくい楽譜を書いている可能性はある。なんだかだんだん自信がなくなってきたゾ…。(さらに明日の日記につづく...)