2006/02/16(木) 理屈
去年、淀川工業の練習を見学して丸谷先生の指導を見させていただいたり、そのほかいろいろな局面で、ここしばらく思うことがある。指導していて、奏法にしろ音楽的なことにしろ、必要以上の“理屈”を教えすぎてはいないか、と。
たとえばその要素は、自分が何年かかけて自分の中に蓄積してきたこと。それをいきなり子どもたちに理屈で伝えてすぐに理解させようというのは、考えてみればムリなこと。また、頭で理解したからといって、それが出来るようになるとは限らない。こっちが知っている、わかっている、そのことで逆に、“理屈を伝えすぎる”という弊害になってはいないか…。
理屈で説明せずとも、いつのまにか理想型に近づけていく。伝える方は、全部わかっている。教わる方は、知らないうちにうまくなっていく。それが定着していけば理想的だと思う。2度見学させていただいただけだが、丸谷先生の指導って、もしかしたらそんなふうなのかもしれない。
昨日の日記で書いた、ぼくが教育実習のときの指導教官に言われた「音楽って“教える”ものじゃないのよね…」というのは、もしかしたらこういうことでもあるのかもしれないな、と思う。